高次脳機能障害をモデル化する

  • 以下のメモを書く・読むにあたって、わかりやすいスライド:

https://miyazaki.jcho.go.jp/wp-content/uploads/2019/02/Dementia_OT.pdf

  • 記憶(メモリ)は計算機では、いわゆる「メモリ」に電気状態として保持する。このように計算機の仕組みとして高次機能障害をモデル化できるだろうか
  • 記憶
    • 短期記憶
      • 覚えておきたいと思っても、覚えていられない状態
      • メモリの故障(メモリというデバイスの故障、もしくは、本体とメモリとの接続線の故障)
    • 長期記憶
      • 以前には引き出せた記憶が出てこなくなった状態
      • ただし、なんでもかんでも、いつまででも覚えているわけではなく、「忘れる~引き出せなくなる」という現象は生理的。したがって、病的な長期記憶障害とは、「引き出せて当然と、一般的に想定される事項が引き出せない状態」。「忘れる」という現象が、内容・時間的に過度・急速である状態
      • ハードディスクに書き込まれた情報が読みだせなくなった状態。物理的にハードディスクの該当箇所に傷が入った場合や、アドレス管理がおかしくなって、ハードディスク上の記録は正しいが、アクセスのための情報が壊れている、もしくは、アクセス情報の読み出しが不良
      • 長期記憶デバイスとしてのハードディスクが、何かしらデフラグや部分フォーマッティング機能を持っているとしたときに、その機能が過度である。または、長期記憶デバイスは容量が膨大であり、経時的に壊れていく(部分的に錆びるとか、擦り切れる、とかのアナロジー)ものの、予備容量によって、必要な長期記憶はよい状態で維持するという仕組みがあるのだとすると、予備容量不足に陥るほど、壊れ方が急速である。
  • 思考
    • Wikipedia の Thought の記事によると、以下のように説明される
      • In their most common sense, the terms thought and thinking refer to conscious cognitive processes that can happen independently of sensory stimulation. Their most paradigmatic forms are judging, reasoning, concept formation, problem solving, and deliberation. But other mental processes, like considering an idea, memory, or imagination, are also often included. These processes can happen internally independent of the sensory organs, unlike perception. But when understood in the widest sense, any mental event may be understood as a form of thinking, including perception and unconscious mental processes.
    • このブログ記事の文脈での「思考」の説明としては、感覚刺激によって惹起されるのではなく、脳神経系の中で「自発的に」開始される神経活動と考えるのがよさそうだ。ただし、なにかを契機にして何かについての思考が開始されると考えると、その契機には何かしらの感覚刺激があってもよさそうである
    • そういう意味では、「思考」に対応する、かなり複雑かつ大掛かりな一連の神経活動というものがあり、それがスタートするにあたっては、何かしらのきっかけとなる神経活動がある可能性があり、そのきっかけとしての神経活動は感覚刺激に惹起されたものかもしれないが、「思考」に相当する大きな塊の神経活動に比して小さい神経活動がきっかけとなっていると考えるのが妥当。また、「思考」に相当する大きな塊の神経活動は終息し、その終息が、何かしらの神経活動を引き起こすかもしれないが、それとその下流の活動とは「思考」に相当する大きな塊とは区別できるほどに、関与する神経細胞群の質・量が異なるものと思われる。例えば、「思考」の結果を「記憶」するというような関係になるかもしれない
    • くよくよし過ぎ、全能感(全能なわけがないのに)、猜疑心が強すぎる
      • 感情・情動・気分の全般的な傾向の偏り。大脳新皮質というより深部の皮質の平均値の偏移か。
    • 頭の回転が速すぎる・遅すぎる、妄想など
    • モデル化するなら、古皮質・新皮質のそれぞれの役割に関し、個々の神経細胞の活動ではなく、それらの神経細胞集団に「おおまかな傾向」を割り当て、その活動度が(液性因子によって)平均値偏移する、というような仕組みになっているように作る。閾値をずらすなどでパラメタ調整するモデルなどが考えられる(か?)
  • (失)見当識 (Dis)orientation

www.frontiersin.org

    • 「ふっ」と視覚入力が入って来た時に、それを解釈して、(自分の知識基盤に照らして)空間に関する判断をすることを持って、空間的見当識というらしく、それを調べるのにバーチャルリアリティを使って、いろいろな空間関連情報を視覚的に与えて見当識があるかどうかを調べる方法があるらしい
    • その延長線上で、Space, Time, Personに関する見当識とは何か定義すると、場所・時・人的立場に関して、自らの持つ記憶に照らして、今まさに自分の置かれている場所・時・立場に関わる情報を(ある意味で)第三者的に判断せんとし、それが腑に落ちるときに、見当識あり。判断をするも、その判断を信じることができないときは、失見当識であって困惑を伴う状態。判断するための記憶がないときも、判断ができないという意味での失見当識
    • これをモデル化するとすれば、「第三者的に、場所・時・人的立場を判断する学習モデルを与え、「腑に落ちる」に相当する「スコア」を閾値として与え、外部入力として新規情報を与えて学習モデルに処理させる。閾値スコアをクリアしたら、ある判断をしたこととし、クリアしなければ、自身の記憶に照らして判断不能という失見当識とする。クリアしたものの腑に落ちない、というのは、モデルで得られたスコアが十分に大きくない、という場合かもしれず、このように考えるなら、「(よく)腑に落ちる」とは、十分に高いスコアと言うことになる。このモデルでは閾値を2つ設定する必要がある
    • 「判断できたが腑に落ちない」というのが、「判断モデル」では「合格スコア」に達したが、「腑に落ちるかどうかの判断」には、別の判断モデルがあって、別の入力で「合格スコア」に達しない、というモデルも考えられる。たとえば、視覚情報からの判断では「夜である」との判断を自信を持ってできるが、ついさっき、昼ご飯を食べたという記憶があるために、「まだ夜ではない」という自信もある、というときに、「腑に落ちない」というような例
  • 理解
    • 理解の定義は難しい(もしくは、定義がない)
    • Wikipediaの記事には次のような記述がある Understanding - Wikipedia
    • "Understanding is a psychological process related to an abstract or physical object, such as a person, situation, or message whereby one is able to use concepts to model that object. Understanding is a relation between the knower and an object of understanding. Understanding implies abilities and dispositions with respect to an object of knowledge that are sufficient to support intelligent behavior." "Understanding and knowledge are both words without unified definitions so Ludwig Wittgenstein looked past a definition of knowledge or understanding and looked at how the words were used in natural language, identifying relevant features in context. It has been suggested that knowledge alone has little value where as knowing something in context is understanding, which has much higher relative value but it has also been suggested that a state short of knowledge can be termed understanding."
      • 特に抜き出すと"Understanding is a relation between the knower and an object of understanding. " とあるように、知識は情報そのものだが、それをknower (情報を知るヒト)が「自身のもつ知識の体系に照らして、然るべく解釈する」ことが理解、ということのようだ。言い換えると、「自身の持つ知識の体系に、与えられた情報を納得のいく形で納めうる」ことが理解、ということである模様
    • ある人が何かを理解するということは、情報を受け入れるだけの知識の体系があり、かつ、それを「納める」というプロセスが(正常に)機能することが必要。逆に、理解できないということは、そもそも、その情報を納めるに足る基礎知識(の体系)が無いか、その情報を納めるというプロセス(論理)の持ち札がある、ということ(か?)
    • この伝で行くと、「知識の体系」と「知識をハンドリングする手続きの体系」をモデル化し、「理解」というプロセスをその2つの体系の掛け併せによって、「知識の体系」(か「手続きの体系」)に組み込むことに成功することが、「理解」の成功、ということにできるようだ
  • 計算
    • 計算ができる、というのは、加減乗除の問題に正解を返せる、ということ
    • これをモデル化するのは、加減乗除をするアルゴリズムを有しており、質問をそのアルゴリズムに乗せて、そのアルゴリズムの結果を引き出すことができるということだから、単純
    • 逆に、計算ができない、というのは、正解が返せない、ということ
    • では、どうしてできる計算とできない計算があるのか(100-7はできても、93-7ができないのはなぜか…)をモデル化するにはどうしたらよいか
    • 単純なモデルとしては、繰り上がり・繰り下がりがない計算はできるが、ある計算はできない、というのであれば、計算のための手続きのうち、一部を「知識」として持ち、残りを「知識」として持たない、という構成は可能
    • 掛け算の九九の一部ができて一部ができないとすると、これも不完全な知識
    • 計算のための知識の体系が完璧か不完全か、という区別がこれ
    • 知識の体系が、すべて埋まっているが「誤り」を含んでいる場合も、正解を返せない。この場合は、再現性があるが「不正解」ということになる
    • 再現性がない場合には、「誤りを含む」知識が変動するのかもしれない。または、知識の体系は「不完全」だが、あてずっぽうで埋めて返す場合には、再現性がなくなる
  • 学習
    • 新しいスキルを身に着ける、という日常語の意味だろう
      • 単純作業を新たにできるようになる、という場合には、手順・手続きを記憶して、その通りに実行できるようになること
    • 機械学習で言うところの「学習」も含まれるだろうか
    • 新しいことを新たに実行可能にする、というのは、計算機モデルでは、新たなメニューの追加に相当するだろう。大掛かりな仕組みの導入となる。いわゆるAIにこの能力を付与するには、「自立的な学習・習得」機序を付加することになる(か?)
    • いずれにしろ「学習」という高次脳機能は、自発性・記憶・手順・実行力など、複合的な機能をオーガナイズする必要があり、高次脳機能のうちでも、より高次な機能に相当するように思われる
  • 言語
    • 読み・聞き、話し・書き、の2面性と、言語・文法体系を有していて運用できることという第三の側面がある
    • 比較的局所的な大脳皮質に機能局在が知られている機能と、それほどでもない機能とがあるだろう
    • 言語野の局所的障害(脳梗塞など)で見られる言語機能の低下と、痴呆にみられる言語機能の低下が、同じ枠組みで説明可能なのか、そうでないのかによって、モデルは変わってくるだろう
  • 判断
    • Wikipedia(En)ではJudgementがかなり幅広く定義されている
    • Judgement (or US spelling judgment) is also known as adjudication which means the evaluation of evidence to make a decision. Judgement is also the ability to make considered decisions.
    • 抽象的でわかりにくいが…
    • Guilty or not-guilty的な、2択の裁定としての判断と、定義と関連する(Xとは、AかつBでありCでないもの、というような)判断とがあるとする
    • 日本語の「判断力」もまた、一筋縄ではない

kotobank.jp

    • このように、難しい「判断」だが、高次脳機能障害を考える文脈では、何かしら、「多くの人が考えているところの『判断力』」というものを捕まえてい置く必要があるだろう
    • ある状況に置かれたときに、何かをする・しない、何かをするならこれをする、というのが判断である。したがって、「情報の入力に対して、適切な決断をする力」のことを「判断力」としてよいだろう。ここで言うところの「適切な」には、「普通だったら、こうするでしょう」というニュアンスがあり、本人が有すると期待される「常識」「良識」「倫理」「社会的コンセンサス」などに基づいて決まるのが「適切さ」と考えられる
    • WikipediaのJudgementの記事には、"irrational decision making"を量子確率論と絡めた論文が引用されていた

https://www.pnas.org/doi/full/10.1073/pnas.1407756111

  • 遂行機能
    • 何かしらの入力があって、それを解釈判断して、何かしらの目的が生じ、その目的を達成するために行うべき行動がなんであるかを判断し、きちんとその行動を順序よく実行することにより、適切な遂行が実現される。複数の高次脳機能の連鎖であるとともに、感覚・運動機能とも連結している
    • これをモデル化するとすると、連鎖のそれぞれの段階をすべてパーツに分けたうえで、それらを連結したモデルを考えることができる
    • ただし、本当のところは、複数の機能は完全にカスケードになっているわけではないだろう。入力・解釈判断・目的痙性・計画・実行は相互にフィードしつつ、滞りなく滑らかに実行される。途中で、どのステップかにおいて不具合が発生しても、多少の不具合ならば、他のステップとの相互参照によって修正されながら、遂行は完成するだろう。遂行できないのは、全ステップの相互補完機能すら逸脱した上でのことだろうと思われる
    • このようなフィードバック機能・調整機能付きのモデルを作るとなると少々厄介
  • 行動
    • 遂行機能とオーバーラップするところもあるように思われる
    • 行動には目的があり、途中経過が妥当で、最終的に目的が達成された、との納得を持って終わるような、一連のステップが行動だろう
    • 行動が実際に行われるためには、「遂行機能」の項で述べた通り、多ステップの適切さと相互フィードバック機構の適切な機能が求められる
  • 複雑性注意
    • 一度に多くのものに注意を向けること、とされる
    • Complex attention(sustained attention, divided attention, selective attention, processing speed)とされる:

Cognitive Impairment | Johns Hopkins Psychiatry Guide

    • 暗算もこれに入る
    • この点に着目すると、メモリを一つのことに占拠させずに、複数のことに分けて使って、適宜、それを取り出せることに相当する(か?)
    • sustained attentionはメモリが一過性のデータ保持装置であるところ、電池切れしないで持続的に短期記憶を保持できる、というようなことに相当
    • 全体を併せて考えるに、attentionとは、一過性メモリを用いた機能であって、それが短時間・単目的に使えるような状態ではだめで、長い時間・複数の事柄に用いることができ、適宜、メモリを解放したりできる、というような、「高性能な」一過性メモリがちゃんと働いていることに相当するようだ
  • Perceptual motor 知覚的運動
    • 知覚・感覚情報を処理しつつ、それに対して適切な行動をすること。よく知った場所で迷わずに家に帰ることができる、というような
    • 知覚・記憶・判断・目的・行動実践の複合機
  • 社会的認知 Social cognition (recognition of emotions, theory of mind)
    • behavior out of acceptable social range, insensitivity to social standards, makes decisions without regard to safety が例として挙げられている
    • 社会の一員として、適切にふるまうことに相当する